MAmeeの雑記伝

雑記なガラパゴス・ネタ記事多。たまにおすすめの紹介。記事毎のキャラのブレ幅大。

「普通」についてゲシュタルト崩壊するまで考えてみる

こんにちは。MAmeeともうします。

 

結婚し家庭を持ち子供を授かり、それなりに年を重ねた今、人生ってやつを振り返ってみるとあまりに人並みだ。

テンプレと言ってもいい。そのテンプレの視点が僕個人なによるものなのか、日本国共通の「普通」なのか判断しかねるところではある。

いや、少なくとも自分の中の「こうするのが普通」というのが念頭にあったんだろう。だが結局身の回りの世界で見聞きする影響が自分の中の概念をつくってくものなのだろうから、それを「普通」と思う自分は世の中の「普通」なんだろう。

要するに、結局今まで自分が判断して選んだ道ってのは一般的で大衆的で普通ってこと。

自分の中でどんなに思い切った行動だと感じたことも、環境も、過ぎてしまえば「普通」のことだった。

 

小2の頃。記憶はあいまいだが軽いいじめにあっていた。

下校の時にランドセルをたくさん持たされたりとかその程度だった気がする。つらかったのかもしれないけど、今思えばそこら辺にあるような光景で世の中的に「普通」と言える。例えば滝が下に落ちるのではなく、上に上がるというようなことに比べたら「普通」に感じてしまうだろう。いじめをするかしないかの「普通」でなく、存在するかしないか。世界が存在を認識しているなら、もう「普通」だ。

それをやるやらないかの話は「倫理観」の問題になるんだろう。存在を認識して、それを観て世界の常識に当てはめて。それはもう、完全に周りからのインプットで決まるはず。だから当人は「普通」と思って行動に移す。結局取り巻く「普通」がみんな違うから、異なる「普通」同士の間に禁忌とされる現象として世界に認識される。

「世界中の人間が同じ考えなら争いが起こらないのに」

みたいなチープなセリフはそう言う事なんだろう。

「普通」の意識が全世界で統一されてしまえば、そこには「理解」は無くなり「正解」しかなくなるのだから。

でも普通というのは結構常に塗り替えられていくもの。

テレビなんか見てても、

「お風呂の時、体は洗えば洗うほど体臭が落ちる」という認識が今では

「お風呂の時、体をきれいにしすぎると余計な成分まで落としてしまい体臭がきつくなる」

こんな日常的で些細なことから個々の「普通」の認識は常に塗り替えられていく。

仮に世界の普通を統一させるとしてどうなればできるのだろう。そこで思い至った考えは「命の無頓着化」。

かなり禁忌的な字ずらになってしまったのは否めない。この罪悪感も「普通」によるところ。でも極限まで突き詰めていくと僕は「命の無頓着化」にいきついた。もっと言えば「人間的な理性」を我々が失う。

ありがちな話、今の人類にとって重要なものは「命」とすれば。最大の禁忌であるのはそれを脅かす現象。元をたどれば、人間の世界の「普通」という概念は究極的に言えば、すべからく「命」を守るためのもの。と考えられる。

であれば、世界が「命を守る事」に対して無頓着になる事。繁殖のみを繰り返し「普通に生きる」。そこには、「異」も「理」もなくなる。つまりは、微生物のようなものが理想形になってくるのだろう。

進化を繰り返して「理性」に目覚めてしまった我々人間には、「命」を尊ぶみそれを美徳とする僕たちの世界には、絶対に完璧な平等な世界平和は訪れない。

そんな詰んでいる世界も、今を「普通」に過ごしている僕も誇りに思う。理性に目覚めたから理性に目覚めてよかったと思う。

今日も僕は「普通」を守る。

それが普通だと感じられるなら、詰んだ世界も優しく見える。

手の届く「普通」は「普通」に守ろう。

それが「普通」なのだと思うから。

「普通」であろう。